小池 千大


小池 千大
CHIHIRO KOIKE相撲部 顧問

―小学5年生の頃に競技を始めました。
愛媛県松山市の出身で、他の子よりも少し背が高い程度で体格が良いわけではなく、運動神経が良いわけでもないごく普通の子どもでした。学校で地元の相撲大会の募集チラシをもらって、愛媛で長年、相撲に関わる祖父から出場を勧められました。相撲は祖父と遊んだり、TVでたまに見たりするくらいでしたが、とりあえず出てみようという感じで参加しました。
―大会をきっかけに、本格的に相撲に打ち込むようになりました。
大会では1回戦ですぐに負けてしまいました。しかも、自分よりも小さい選手に。最初は裸でまわしを付ける恥ずかしさから相撲に抵抗感がありましたが、負けず嫌いなのですごく悔しくて。地元の相撲クラブに入って、本格的に練習するようになりました。
―相撲の強豪として知られる愛媛県立津島高校を卒業後は、名門の近畿大学相撲部に入部。2025年7月の大相撲名古屋場所で十両優勝を果たした三田(二子山部屋)とともに相撲部で汗を流し、活躍しました。
体の小さい小兵力士ですので、思いっきり立ち合いでバチンといって、とにかく先手で攻めてスピードや、相手の力を上手く利用するスタイルを武器としていました。小兵が大きい力士を倒すのが楽しいし、見ていて楽しいじゃないですか。どうやったら大きな相手に勝つことができるかを考え、倒せれば快感ですし、自信にもなります。大学2年時には学生相撲の体重別選手権85キロ未満級で個人2位、大学4年時にはマネジャーとして関わった全国大会で団体日本一になれたことが、印象に残っています。

―苦労した出来事はありましたか?
どれだけ食べても寝たら朝には必ず体重が3キロ減る時期がありました。体重が重いほうが力は強くなりますが、昔から太れない体質でした。負けや怪我が続いて精神的にもしんどかったですが、ぶれずに自分のスタイルを貫いて克服しました。
―大学卒業後の2024年4月に隠岐水産高校に赴任し、実習教員として働きながら、相撲部員の指導をしています。隠岐を選んだきっかけは?
もともと先生に憧れがありました。相撲の指導にも興味を持っていたところ、大学4年時に相撲部の視察に来た、島根かみあり国スポ担当の島根県職員の方と出会いました。隠岐での指導を勧めてもらい、実際に足を運んでみると人の温かさとか、自然とかすごく良くて。同じ大学相撲部出身の方もいて、ここで島根かみあり国スポに向けて頑張りたいと感じました。


―現在、隠岐水産高校相撲部は選手4人、マネジャー1人が所属。国スポに向け、選手発掘が課題となっています。
県内唯一の相撲部で創部118年目を迎えました。部員は少なく常に募集中ですが、着実に力を付けていて全国で1勝できるようになりました。理想は各学年で部員5人ずつ。古典相撲があるように隠岐は古くから相撲が地域に根付いており、相撲をする小学生は多いですし、松江や出雲にも相撲道場はあります。体が大きい人が行うイメージは強いですが、大相撲を見てもわかるように小さな力士でもうまく力や技を使えば通用します。相撲の魅力や楽しさを広く伝えて、競技人口を増やしていきたいですね。

―選手としても出場を目指す島根かみあり国スポへの思いを聞かせてください。
勝ちたいです。いつも温かい言葉やご飯で元気を与えてくれる家族や今まで相撲を教えてくれた人、切磋琢磨した仲間、応援してくれた職場や地域の方々、支えてくれた人に感謝の気持ちを伝えるには勝つ姿、土俵の上で奮闘する姿を見せることが恩返しだと思っています。生徒と共に成長し、自分自身も活躍できるよう、人間力と相撲力をさらに磨いていき、島根の相撲界を盛り上げていきたいですね。
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(2025年8月取材)

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