田上 美和


田上 美和
MIWA TANOUE女子ソフトボール部監督

厳しさの中にある楽しさ、挑戦を歓迎する指導、そして信頼関係。
島根から全国へ、そして国スポへ―― “人を育てる”チームづくり
profile
三重県出身。強豪の夙川学院高(兵庫)から日本リーグの強豪・日立高崎入り。強肩の内野手として活躍し、宇津木妙子監督率いる日本代表では世界選手権3位入賞、アジア大会2位入賞に貢献。27歳から日本女子リーグ3部の松下電工津(三重)をはじめ、1部の戸田中央総合病院(埼玉)、JDリーグのデンソー(愛知)など4チームを20年にわたって指揮。日本代表のコーチも務めた。2024年4月、2030年島根かみあり国スポ強化指定校・県立三刀屋高校(雲南市三刀屋町三刀屋)の監督に就任。

―ソフトボールを始めたきっかけは?
地元三重で少年野球に入っていました。女子はいませんでしたが、負けず嫌いだったので、自然と男子に混ざってやっていましたね。中学には野球部がなかったのでソフトボール部に入ったら、全国大会で準優勝しまして。誰かが見ていてくれていたんでしょうね。ある日、高校の監督から1本の電話がかかってきたんです。そこから兵庫の強豪・夙川学院高校への進学が決まりました。
―高校時代に印象に残っていることは?
1年生の時から全国制覇を目指すチームで揉まれていました。技術ももちろんですが、「人としてどうあるか」をすごく教えてもらいました。今の指導にも、その学びがすごく生きています。
―実業団や日本代表での経験は、今の指導にどうつながっていますか?
高校卒業後は日立高崎で、宇津木妙子監督のもとでプレーしました。技術だけでなく、精神力や人間性を鍛えることに重きを置く方で、過酷な練習もありました。でも、その厳しさの中に選手への深い愛情がありました。あの環境で鍛えられたことが、私の人生の大きな礎になっています。
同じチームには宇津木麗華さんもいて、現役なのにコーチもしていて、すごい人でした。日本代表にも選ばれて世界大会にも出ましたが、あの頃は勝つことしか考えていなかったですね。代表では「チームとしてどう戦うか」が問われて、勝負の「間」や「ここが勝負どころ」という感覚を学びました。今はそれを部員にも伝えています。レベルが違っても、勝負の本質は変わらないんです。

―高校生の指導は初めてとのことですが、指導で大切にしていることは?
周りからは「高校生の指導は大変だよ」と言われましたが、私は全然気になりませんでした。高校生は技術だけでなく、人間としての成長が著しい時期です。だからこそ、「自分で考え、行動する力」を育てることを大切にしています。
「この子たち、もっとできる」と思ったので、練習の組み方を変えました。ノックの本数も「あと何本」とは言いません。そうすると、毎回全力でやるようになります。練習メニューも毎日変えて、時間も「何時に終わる」と決めません。みんな「今」に集中するようになります。
失敗についてもはっきり言っています。「同じ失敗はだめ。でも、新しい失敗は挑戦だからOK」。例えば、何度も同じ空振りを繰り返していると、「それは考えていない証拠だよ」と伝えます。でも、違う打ち方を試して失敗したなら、それは挑戦だからと、むしろ歓迎です。
ある子が試合で思い切って盗塁を仕掛けてアウトになったんです。でも、「よくやった」と言いました。ちゃんと相手の隙を見て、自分で判断して動いたからです。そういった挑戦ができるようになったことが、何よりの成長なんです。
―選手との信頼関係づくりについて、工夫していることは?
ノートを使っています。試合後に「今日の自分」を書いてもらいます。悩みがあれば書いてもいいと。「先生が見てくれているって思えるから、頑張れる」って書いてくれた子もいました。そういうのを見ると、「ああ、この子、ちゃんと考えているな」と思えるし、こっちもちゃんと向き合わないとって思います。
最近は「伝える力」も育てたいと思っていて、私が話すだけじゃなくて、選手自身がチームに向けて自分の言葉で伝える場面を作っています。最初はうまく言えない子もいるけれど、理解が深まると自然と言葉になります。理解している子は、ちゃんと伝えられます。これはソフトボールだけではなくて、社会に出ても大事な力だと思うんです。


―就任2年目。チームの変化をどう感じていますか?
昨年、5年ぶりの全国インターハイ出場を果たし、今年も出場することになり、2年連続出場となります。今年は中国大会でも何十年ぶりに勝って、3位に入りました。
島根では「勝てない」と言われてたけれど、今は「絶対三刀屋が行く」と言われる存在になり、全国の強豪と面白い試合ができるようになってきました。ここまでが、私のやるべきことだったと思っています。
―2030年島根かみあり国スポに向けた思いを教えてください。
「国スポに向けてどう?」とよく聞かれますが、私の考えはちょっと違っています。5年後に勝てばいいっていうよりも、「今の子たちをどう育てるか」の方がずっと大事だと思っているんです。
「三刀屋って厳しいけど楽しいよ」と言ってもらえるようなチームにしたいです。実際、練習は厳しいですよ。でも、楽しいって言ってくれる子が多いです。それは、「自分が成長してる」って実感できるからだと思うんです。
「厳しいけど楽しい」っていうのは、指導者がちゃんと見て、ちゃんと向き合っているからこそ生まれるものだと思います。だから、毎日アンテナ張って、練習中の表情、動き、ノートの言葉、全部見ています。そうやって信頼関係を築いていけば、「このチームでやりたい」って思ってくれる子が増えてくると信じています。
そういうチームができれば、自然と人が集まって、自然と5年後に向けて強いチームができます。島根の子たちが三刀屋に行きたいって思ってくれるような、そんなチームを今から作っていくこと、それが、私の国スポへの思いです。
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―最後に、指導者としての信念を教えてください。
勝ち負けだけじゃない。ソフトボールを通じて、社会に出ても通用する人間を育てたい。やる気を引き出して、「監督に分かってもらえている」と思ってもらえる信頼関係を築く。それが、私の指導の根っこです。
(2025年7月取材)

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