嘉田 皓翔
嘉田 皓翔
HIROTO KADA「日本一目指すきっかけは練習試合全敗」
―剣道を始めたきっかけは
1歳年上の兄がしているのを見て、格好いいと思い、小学1年生で始めました。島根県内で一番強い高校で剣道をやりたいと思い、大社に入学しました。
―入学してみてどうでしたか
すぐに島原(長崎県)に練習試合に行きました。九州学院(熊本県)や明豊(大分県)、三養基(佐賀県)など強豪が集まってきていました。全国の強豪との差が大きくて、全部負けました。レベルの違いを痛感し、強くなりたい、日本一になるという思いに火が付きました。毎週のように県外に練習試合に行って胸を借り、負けていたのが、引き分けになり、一本取れるようになり、勝てるようになりと少しずつ結果が出て、強くなっているという実感がわきました。
―2年生のインターハイでは先輩2人が個人戦で3位、8強に入りました。
坂本涼輔先輩が3位、山根平先輩が8強でした。2人の先輩が全国を舞台に戦うことができる姿を見せてくれたのはとても大きかったし、自分たちもできるという思いになりました。
「基本大切に、地力を鍛える」
―新チームで主将になりました
チームをまとめるため、道場に最初に来るようにしました。自分が部員にやってほしいことは率先して取り組み、練習では緊張感が出るように意識しました。
―練習の内容は
基礎的な内容が中心です。「くせ」を直すように、基本を大切にしてきました。基本があった上での応用だと思っています。小村健先生からは、練習中は常に試合を意識するように指導を受けてきました。朝練では、ベンチプレスやスクワット、体幹トレーニングを取り入れ、体づくりも心掛けました。
―3月の選抜大会では、団体で8強入りしました
全国大会では粘りながら相手のミスを誘って、5人で1本をとる意識で戦いました。準々決勝で三養基に代表戦で負けましたが、全国大会が2回ある夏が勝負だと思っていました。
「監督や先輩のささえでインターハイ4強」
―7月に開催された全国大最大規模の大会、玉竜旗高校剣道大会では2回戦負けでした
もう無理かな、やってきたことが間違っていたのかなと落ち込みました。負けたその日に島根に帰ってきて、夜9時から男子だけで練習しました。高校入学してから練習で一番緊張しました。練習後、小村監督から「俺はあきらめてない。あと1週間、やれることをやろう」と言われ、全員ギアが入った感じになりました。試合形式の練習を繰り返し、大学に進学した坂本先輩、山根先輩も来てくれて、この1週間で本当に成長したと思います。
―北海道でのインターハイに臨みました。
「自分たちは格下、今持っているものを出し切る」という意識でした。予選リーグでは、前年度インターハイで優勝した島原と当たりました。島原の試合を見ている中で、対等に戦える意識になり、全員で勝ちに行こうと試合に臨みました。先鋒・伊藤祐馬君、大将・波多野準也君が勝って、2勝1敗1引き分けで決勝リーグに進みました。1回戦は1勝1敗3引き分け(本数差)、準々決勝は2勝1敗2引き分けで勝ち、準決勝は福岡第一(福岡県)と対戦しました。2勝2敗1引き分けで、代表戦に持ち込んだものの負けてしまいました。本当に悔しかったです。準決勝の壁を越えて、決勝に行きたかったし、後輩たちにこの壁を乗り越えてほしいです。
「2030年も活躍したい」
―国体でも5位と大活躍でした
伊藤君、波多野君、吉田悠人君の大社勢に横田の井上響喜君を加えた合同チームで出場しました。井上君とは他校だけど仲が良かったので、一丸となって臨むことができました。「島根」の看板を背負って戦い、5位という成績は悔しさもありますが、県民の皆さんの応援にこたえることができたという気持ちもあります。2030年には島根県内で国民スポーツ大会が開催されます。成年の選手として活躍し、今年以上の成績を残したいと思っています。
(2023年11月取材)