田窪 剛共
田窪 剛共
TAKETOMO TAKUBO―ジュニア世代まで柔道、レスリングの二刀流で大活躍。
両競技とも父の影響で、幼いころ兄二人と一緒に始めました。柔道は4歳のとき、開星柔道部の下田尚総監督がジュニア向けに開設した「開星柔道クラブ」がスタート。下田総監督の教え子だった父がコーチをしていました。練習場は開星の道場。ずっとこの道場に通い続けています。主将になった小学6年の全国小学生学年別大会で3位に入ったことは自信につながりました。レスリングをやっていたことで、体幹の強化、寝技などの体の使い方に役立ち、柔道にもプラスになっています。
―柔道に打ち込むようになった理由を教えてください。
レスリングでは兄弟で何度も全国優勝を経験しましたが、柔道に、より魅力を感じて中学校からは柔道一本。4歳から指導を受けてきた下田総監督の存在が大きいです。世界的スポーツ「JUDO」として普及していますが、元々日本古来の武術であった武道としての理念、技の原理である「柔よく剛を制す」を日常生活の生き方にまでつなげるという考え方を学びました。「強いだけじゃだめ」。勝ち負け関係なく、相手を敬うことの大切さも叩き込まれました。
―普段の練習内容、得意技は。
かかり稽古と筋肉トレーニングの組みあわせです。月曜は足、火曜は背中、水曜は胸筋というように日替わりのローテーションで、かかり稽古で鍛えられる腹筋、肩、腕以外の筋肉を鍛えています。得意技は内股。相手から一本をとるためにはまず崩しで、組み際を重視しながら足技、フェイントを重ねていく過程が奥深いと思います。
魅力は多彩な駆け引きの面白さ
―柔道の魅力は。
駆け引きの面白さがあると思います。瞬時の判断が必要だから、すぐに身体が反応できるよう日々の練習が大切です。答えは一つじゃないからさまざまな想定をしながら、バリエーションを増やしていきます。僕は少数派のサウスポー(左組み手)で、それが有利に働くと言われ、五輪の金メダリストも左が多いので「左は世界を制す」とも言われています。特性を生かした組み手を模索していきたいです。
―これまでの競技人生で苦労したことは。
開星高校柔道部の主将を務めた今年度ですね。最初に「全国で団体8強」の目標を立てて、意識の共有化に努め、全体のレベルアップを図りました。10月の「かごしま国体」では決勝で東京に敗れ準優勝でしたが、目標を上回ることができました。嘉納治五郎師範の「善とは何かというに団体生活の存続発展を助くるものは善で、これを妨ぐるものは悪である」という言葉を道場に掲げています。個人戦は「己に勝ちにいく」けれど、団体戦は「皆で勝ちにいく」。団体戦は一人が強くても勝てないし、信頼関係が必要で、しんどい思いもしましたが、目標を達成したときの喜びや景色は個人戦とは違っていて、貴重な経験でした。
最強ライバルの存在が刺激に
―2023年は春の全国高校柔道選手権で全国優勝を果たすなど個人戦でも大活躍でした。
全国大会の決勝で戦うのは、春の選手権が初めて。決勝は指導を二つ受けて追い込まれましたが「絶対勝つんだ」という気持ちで最後まであきらめなかった。残り1分40秒での逆転で優勝はとてもうれしかったですが、優勝候補の福田大和君(滋賀・比叡山)の欠場は残念でした。「福田がいなかったから勝てた」と言われるんじゃないかと、悔しかった。だから総体での対戦に向けて練習を強化しました。延長戦でも力が出せるよう低酸素マスクを装着して打ち込みをしたり、重りで負荷をかけた筋トレを増やしたり、県外の大学に一人で出稽古にも行き、やれることはすべてやった。
―そうして迎えた夏の北海道総体決勝で福田選手と対戦。どんな存在ですか。
同学年の最強ライバルです。小学生のときから全国大会で何度も対戦し、互いに手の内を熟知していて、なかなか勝てない相手ですね。総体は試合ごとに調子が上がり、準決勝までの4試合はすべて一本勝ち。強化練習が叶って、体力も向上し、圧倒的な試合運びができました。福田君との決勝は序盤から組み手争いになりましたが、開始40秒ほどで大外刈りで崩され、寝技の縦四方固めに抑え込まれて一本負けした。めちゃめちゃ頑張ったけど、「福田君には勝てなかったか…」「まだ足りなかった」という気持ち。でも、「次は勝つ」という目標ができました。
―今春、強豪・筑波大に進学。今後の目標は。
筑波大は練習環境や、柔道スタイルが合っていると思い決めました。2028年ロサンゼルス五輪はもちろん目標ですが、日本一を果たしたことで、逆に気軽には言えなくなりました。自分の課題に一つ一つ向き合って、日々の練習を積み重ね、目の前の目標を大切にしていきたいと思っています。まずは、国際大会初出場となる3月のブレーメンジュニア国際柔道大会(ドイツ)に全力で臨みます。
県内の柔道競技人口は減少傾向と聞いています。開星の先輩である松村颯祐選手が大学生時代、世界ジュニアの個人・団体で金メダルを獲得したとき「島根出身のすごい選手がいる」と思いました。地元で開かれる2030年島根かみあり国スポ・全スポに向けて、島根の柔道を盛り上げられるよう、僕が全国や国際大会の舞台で活躍する姿を見てもらい「すごい」と思ってもらえるように頑張ります。
(2024年1月取材)