高田 彩
高田 彩
AYA TAKATA「先輩についていくことだけで精いっぱいだった中学時代」
―なぎなたを始めたきっかけは。
出雲市内の小学校に通っていたころ、友達がやっていたのがきっかけです。両親には剣道を進められていたんですけど、剣道は少し怖かったんです。なぎなたは小学生のとき体験会に参加して、自分の身長より長いなぎなたをきれいに振り回して格好いいなって感じて、やってみようと出雲北陵中学校に入って、なぎなた部に入りました。
―部活はどんな感じでしたか。
出雲北陵高校の先輩たちと一緒に部活しました。小学生のころは特にスポーツをしていなかったし、慣れるまで本当に難しかったです。どうやって打ち込むのかもわからなくて。とにかく防具をつけて先輩たちと稽古をしながら、まずは同級生に負けないように、先輩のまねをしながら頑張る感じでした。でも、中学生時代は結果が出せませんでした。
―高校でも、なぎなたを続けました。
高校では違う部活に入ろうかと思って別の高校のオープンキャンパスに参加したこともありました。でも、なぎなたをする先輩方がとても華麗でかっこよく見えて、やっぱり先輩方となぎなたをやりたいと思うようになり、出雲北陵高校に進んで続けることにしました。
「恩師のひとことがきっかけに」
―急に力が付きました。
練習の環境は劇的に変わることはありません。顧問の井上美代先生から「勝つのはどういう選手か考えなさい」と言われたのが、きっかけになりました。練習だけではなく、生活面をきちんとすることを心掛けるようにしました。授業中寝ないとか、制服をきちんと着るとか、当たり前のことをきちんとやることで我慢強さが身に付き、実力がついてきたように感じました。
―2年生で主将になり、春の全国高校選抜大会では個人戦で優勝されました。
日本一を目標に頑張ってきて、出雲北陵高校を卒業した先輩も応援に来てくれていた中で優勝できたのは、本当にうれしかったですね。
―その年のインターハイでは個人2位と活躍しました。
個人では決勝で負けてしまい、団体戦も1回戦で当たった強豪の首里(沖縄県)に負けてしまってくやしさが残りました。県内で力を磨くのもいいけど、県外の環境も見てみたいと思い、神戸松蔭女子学院大(兵庫県)に進学しました。
―どんな環境でしたか。
高校生の頃は先生や、先輩から教わることができたのですが、大学ではそういう存在がいないので、強くなる方法を自分で考えないといけない環境で、大変でした。技のバリエーションを増やしていく努力をしました。簡単に教えてもらえるわけではないので、ほかの部員の得意技を見て参考にしてみるなど、試行錯誤を重ねました。2、3年の全日本学生選手権(インカレ)で優勝することができました。
「島根の仲間と日本一を目指す」
―就職のタイミングで島根にUターンしました。
なぎなたを続けるうえで、島根の環境がやっぱりいいなって思いました。中学校から知っている先輩、日本一、世界一になった先輩たちがいる場所で続けたいと思いました。
―現在の環境はどうですか。
練習は週末だけ、約3時間程度です。高校生、大学生の頃より練習量が大きく減りました。もう少しできると思ってましたけど、思ったよりきついですね。両立する方法を今、模索しているところです。でも、仕事もなぎなたも両立し、充実させたいと思っています。
―1年後輩の石飛涼子さんも同じ環境で頑張っています。
後輩ですけど頼りになる存在です。近くにいてくれるから、一緒に頑張ろうと思えるので、存在が大きいですね。
―次の目標は
島根の仲間と団体で日本一になることです。春の都道府県対抗(5人制)と秋の国体(3人制)があります。2030年には島根県を舞台に国民スポーツ大会が開催されます。この舞台で全国優勝したいです。好きな人たちと日本一という目標に向かって進んでいきます。
(2024年1月取材)