福島 翔太郎


福島 翔太郎
SHOTARO FUKUSHIMA
―子供の頃から砲丸投げ選手として活躍しました。
小学6年で身長170センチ、体重100キロもありました。肩が強いこともあって、陸上の指導をしていた小学校の担任の先生が、『中学校で砲丸投げをしたらいい。日本一になれる』って言われたんです。あまり乗り気ではなかったけど、投げた距離が記録として残るため、自分の成長を実感しやすく楽しいと感じたんです。進学した大社高校でも福岡の大学でものめりこみました。高校、大学での恩師との出会いで大きく環境が変わり、記録も伸びました。
―苦労したエピソードは。
大学4年の全日本学生個人選手権で優勝したのですが、頸椎椎間板ヘルニアになってしまいました。左手が常に痺れている状態で握力がかなり落ち、頭痛にも悩まされて引退を考えました。ですが、大学の恩師から「現役でいることに価値がある」と言われた事を覚えています。現役として活躍することでこれからの世代の目標になりたいという気持ちがありましたし、指導する際にも現役でやっている方が説得力がありました。島根からでも日本選手権や国体などの大会に出場して活躍できると証明したい気持ちも大きくありました。実際に私に憧れて砲丸投げを始めた選手がいてくれて、現役を続けていて意味があったのかなと思います。
―出雲養護学校で教育職員として働きながら、2017年ごろからパラ陸上の指導に関わっています。
誘いを受けたことがきっかけで、練習会での指導や競技会での審判、大会への帯同を行うようになりました。24年からは全国障害者スポーツ大会の島根県陸上選手団の総監督を務めています。
―現在は出雲や松江で月1回、練習会を開いて指導しています。
県西部を含めて毎回20人くらいが参加します。技術を教えるだけでなく、陸上の楽しさも感じてもらえるような工夫もしています。陸上は目標を設定して自分と向き合いながら、苦手を克服して乗り越えることを実感できるのが魅力ですね。
―競技人口の拡大とパラスポーツへの理解促進が課題です。
新型コロナウイルスを機に競技人口が大幅に減りました。派遣選手が現状の8人から50人程度に増える30年の島根かみあり全スポに向けては、選手発掘と育成が課題となります。資金不足の問題もあり、選手発掘の機会となる練習会は月1回程度です。選手育成も大事ですが、支える人材の確保・スキルアップも必要です。選手を支える楽しみは、障がいがあっても1アスリートとして純粋にスポーツを楽しんで取り組んでいる姿を傍で見られることです。パラスポーツに関わることで、障がいのある方の社会参加や障がい理解促進につなげるお手伝いができていることにやりがいを感じています。
自分自身、陸上競技を通してさまざまな世界を見ることができ、出会いがたくさんありました。島根県のパラスポーツもこれから競技人口を増やすことに加え、今以上に競技を深めたい、競技力を上げたいと思う選手に対して、さらに専門的な練習環境を提供していけたらと思っています。そうすることで選手自身も新しい可能性が見え、世界が広がるのではと思うとワクワクします。その手助けが出来るように私自身も学び続けていきたいですね。これから島根県におけるパラスポーツへの理解が広がって資金や協力者が増え、私たちの活動だけでなく、県内各地でいろいろな取り組みが広がってほしいと思っています。
―島根かみあり全スポへの思いは。
ノーマライゼーション(共生社会)を整備するきっかけになってほしいですね。障がいの有無や年齢、性別、国籍も関係なく、いろんな人がスポーツを楽しめるようになるとうれしいです。出場する選手、関わる、支えるスタッフそれぞれが輝き、活躍できる素敵な全スポとなるよう盛り上げていきたいです。
(2024年12月取材)
