二澤 未来也


二澤 未来也
MIKUYA NIZAWAホッケーチーム「Selrio島根」所属

―ホッケーを始めたきっかけは?
出身地の奥出雲町はホッケーが盛んで、島根県立横田高校が有名ですが、小中学校にもホッケークラブがあり、練習場を備えている学校もあります。私の場合は父がコーチをしていたこともあってホッケーを身近に感じられる環境で育ち、徐々にホッケーに興味を持つようになり、小学校5年生のころに「横田ホッケースポーツ少年団」に入りました。父は興味のあることをなんでもやらせてくれ、小学校中学年まではサッカーと陸上も頑張っていました。
―大学リーグでの活動について教えてください。
横田中学校から横田高校を経て、スポーツ推薦で山梨学院大学に進学。広大な敷地に練習場やスタジアム、トレーニングルームなど、必要なものが全てそろった環境でホッケーに打ち込みました。在学中、大学リーグ優勝は叶いませんでしたが、準優勝や3位に入り上位の結果を残せました。キャプテンを務めた年もあり、4回生の年にはベストイレブンに選出されました。大学時代の仲間は今も交流があります。2回生からはアンダー21の枠で、3回生からはシニア枠で日本代表チームに参加しています。
―山陰パナソニックに入社した経緯は?
大学卒業後は実業団での活動を視野に入れていました。在学中に複数の団体から声をかけてもらっていたのですが「やっぱりふるさとの島根に帰りたい」「奥出雲町のチームに入りたい」という思いが捨てきれず…。 地元・奥出雲町の社会人クラブチームである「Selrio島根」からもオファーがあり、島根で働きながらホッケーをやる術を探そうとしていたところ、島根県ホッケー協会と「アスリート・ジョブサポートしまね」から山陰パナソニックを紹介されました。
―島根に帰りたいという思いの背景は?
10代のころから「Selrio 島根」に入りたいと思っていました。高校時代のチームメイトやお世話になった先輩も多く、仲間たちとプレーしたかったんです。それに加え、故郷がホッケーの町であることも大きな魅力でした。奥出雲町は設備が整っているだけでなく、町民のみなさんが「頑張ってね」と声をかけてくださったり、一丸となって応援していただける環境があったり、とてもあたたかい町です。2030年に島根で国スポがあるので島根のチームで優勝したいという思いもあり Uターンを決めました。
―職場環境について教えてください。
ホッケーの拠点が奥出雲町であることを考慮され、通いやすい松江市内の営業所に配属してもらいました。所属は電設資材を工事店さんに卸すビルドソリューション部門。発注や業者さんの対応などをするフロント業務を担当しています。入社したばかりでわからないことだらけなので、先輩方の丁寧な指導がとてもありがたいです。正社員なのでフルタイムですが、フロントは残業がないので定時の17時に退社。松江市内から奥出雲町の練習場までは車で1時間近くかかりますが十分間に合いますし、練習がない日もトレーニングの時間をしっかり確保できます。
―二澤さんが感じるホッケーの魅力とは?
試合展開がとてもスピーディーで、ほんの一瞬で状況が大きく変わるダイナミックな競技であることです。日本はまだ競技人口が少ないのですが、その分選手同士のネットワークが密。全国各地の実業団に大学時代のチームメイトや交流のあった選手がいます。試合などで会うたびに意見交換をしたり励まし合ったり、切磋琢磨できるのがいいなと思っています。
―競技人生で心に残っていることはなんですか?
高校時代の指導者に言われた「感謝を忘れるな」を今でも大切にしています。奥出雲町では地域を上げて応援してもらえるけれど、それはとても恵まれていることで、決して当たり前ではない。甘えることなく感謝を胸にプレーしなさいというメッセージでした。それを意識していると、自然と「みなさんのためにも良いパフォーマンスをして結果を残そう」とモチベーションが上がります。一瞬一瞬のプレーに妥協せず、無駄な動きをなくせるようになりました。
―現在はどのような活動をされていますか?
平日の夜間(週2日)と土日の午前中にSelrio島根の練習があります。土日は遠征や練習試合も。月に数回は母校の横田高校のホッケー部と練習試合があります。県内トップの実力があるチームなので、かなり手強いんですよ。不定期ですが地域の子どもたちを指導する機会もあります。
―遠征や日本代表の招集の際はどのように時間を確保していますか?
チームの遠征で休まなければいけないときは有給が使え、国スポに出場する場合も5日間休めます。日本代表チームの合宿や国際試合などがある場合は、スポーツ選手向けの特別有給の制度を利用しています。たとえば合宿は2か月に1回程度あり1〜2週間は休むことに。アスリートに優しい制度があり助かっています。この営業所ではアスリート社員は私だけなのですが、上司も先輩方もこころよく送り出してくれるので休みやすいです。
―アスリートとして現在の環境をどう感じますか?
奥出雲町は町内各所にホッケー専用施設があり、質の高い人工芝が敷かれたスタジアムも。私たちのチームの練習場はナイター設備があり夜も快適にプレーできます。また、廃校の校舎と体育館をトレーニング施設として町が提供してくれているので、筋トレやランニングが可能です。雨天時や練習がない日も充実した時間を過ごせ、とても恵まれていると感じています。
―これからの目標は?
一番はかみあり国スポでの優勝。また、2026年にはアジアカップがありロサンゼルスオリンピックの出場が決まります。そこで代表チームのスタメンに入り、結果を残したいです。Selrio島根の一員としては、昨年、日本リーグ(2部リーグ)で優勝し2025年から1部リーグに昇格したので、応援してくださる方たちの期待に応える成績をおさめることが目標です。今年は練習量も遠征も増やし、チーム全体で気合が入っています。個人としては1部リーグでもベストイレブンに選出されるようなパフォーマンスを目指すつもりです。
―目指す未来を教えてください。
プレーヤーとして邁進しつつ、次世代にホッケーの魅力を伝えていきたいです。奥出雲町は子どもが減り小学校の統廃合が進んでいますが、小学生のホッケー人口は減っていません。強豪校には県外から入学する選手もいます。練習の合間に行っている子どもたちの指導を継続し、ホッケーの普及とそれによる地域活性が実現できればと思っています。
(2025年2月取材)

RELATED PARTIES
関係者インタビュー
山陰パナソニック株式会社
代表取締役社長 渡部 幸太郎
― 山陰パナソニック株式会社はどんな会社ですか?
出雲市に本社を置き、家電製品を取り扱う「ライフソリューション部門」や電気関係の資材を提供する「ビルドソリューション部門」、住宅の「ハウジングソリューション部門」など6つの事業を展開し、山陰両県の生活・産業を支えています。
― 二澤さんを社員として迎えたきっかけは?
島根県ホッケー協会より当社にアポイントがあり、 アスリート・ジョブサポートしまねの事業を通して、奥出雲町でクラブチームに加入する選手の雇用の依頼がありました。その後、二澤さんをアスリート社員として迎えました。彼の第一印象は、「はきはきしていて親しみやすい人」。職場や一緒に働く仲間を明るくしてくれると感じました。
― 二澤さんを雇用してどのように感じていますか?
アスリートとしても一社員としても日々新しいことに挑戦し、何事にも真面目に取り組んでくれています。また企業としては、アスリート社員の活躍を社内で共有することによって会社全体で応援する風土ができ、スポーツをきっかけに社員同士の会話が盛り上がっています。コミュニケーションが活発になるというのは思わぬ副産物でした。また、二澤さんがSelrio島根での活動や日本代表チームでの取り組みと仕事を両立する姿は、社員に刺激を与え、向上心を育み日々の励みとなっています。期待通り営業所の雰囲気が活気づいています。
― 今後どのようなビジョンがありますか?
当社の新しいビジネスへのチャレンジはアスリート社員の姿勢に重なります。これからも共に高め合いたいです。そして島根で活躍したい、島根に貢献したい選手の力や思いを企業として応援し、山陰を盛り上げていきます。二澤さんは競技と仕事の両立を目指し、地域と共に生きていくことを貫く意志・姿勢のある人。その姿が今後も社員の大きな刺激になることを期待しています。
(2025年2月取材)